獣医師広報板ニュース

ペットロス(メモリアル ルーム)掲示板過去発言No.0100-201412-152

たくさんのいい思い出をありがとう
投稿日 2014年7月16日(水)21時29分 投稿者 はな

 大事な大事な愛犬を失ってから、僅かな日数しかたっていませんが、この空虚感はいったい何なんだろうと思い、我が家の一員になった時から、逝ってしまうまでの14年と7ヶ月の日々を辿り記憶に留めたいと思いました。そこには、喜び、愛情、感動、尊敬、悲しみ、虚しさの全てがありました。

1 出会い

 思春期の娘が、厳しい私学の校則などに嫌気がさし、将来が見えなくなりそうな時期がありました。親としては、何とか心の安らぎを与えられればと、犬を飼うことを考えました。娘には内緒で、ペットショップを巡り、最初はミニチュアダックスがいいかなといった軽い気持ちでいました。
 2000年1月の寒い季節に、数店舗目の家からは少し離れますが、二俣川近くの大きな看板が目立つペットショップを訪ねたとき、妻がガラスケースの中に、一匹のミニチュアピンシャーを見つけました。まだ、ミニチュアピンシャーという名前すら聞いたことがなく、どのような性格をもった犬種かも知りませんでした。同じ犬種が数匹いましたが、このガラスケースの子の目が「連れて帰って」と言っていたそうです。もう抱くときに「ハナちゃん」と呼んでいました。その日に決めるとは思っていなかったので、現金を持ち合わせていなかったのですが、もう善は急げということで、ATMでお金をおろし、連れて帰りました。名前は「ハナ」と決めていて、あとはどの漢字にしようかと考えるだけで、家の駐車場に着くまでには「華」になっていました。ドーナッツショップの6個入り箱くらいに収まるほど小さい子でした。

2 家族の一員

 もう夕刻を過ぎて少し暗くなった駐車場から、帰宅していた娘に荷物がたくさんあるので下すのを手伝ってほしいと呼び出しました。ドーナッツ入りのような箱を渡すと、中で動いたようで、娘は「何これ」と驚いて開けて、子犬がいることに喜びと嬉しさと驚きが入り混じった表情でした。まだ家族全員、飼い方すら知らないなかで、いくら可愛くてもしつけのためゲージから出して抱っこするのは一日一時間だけと、飼育本を読んで学んでいきました。娘の精神状態も落ち着きを取戻し、学業にも将来にも前向きに取り組み始めました。
 まだ犬用シャンプーがあることすら知らず、一緒にお風呂に入って人間用シャンプーをしたときは、舐めていたなと思っていましたが、30分くらい過ぎて、嘔吐と下痢が始まったときは死ぬのではないかと思いました。オシッコはゲージの中のシーツの上、ウンチは外に散歩に行ったときは、終生変わることはありませんでした。すごくきれい好きで、一度オシッコの付いたシーツにはもうオシッコをしないので、終えたあとは必ず取り替えなくてはいけませんでした。歯の抜け代わりのときも家具をかじられたことも少なく、粗相して叱られることも少なく本当に飼いやすい子でした。ただ、住んでいるところがペット不可のマンションで、夜こっそり非常階段から服の中やバッグの中に隠して、近所の川沿いを歩くのが日課でした。一時間くらいの散歩では、子犬には運動不足だったのか、日中鳴くことがあり、妻はペット不可のマンションであったため、近所に聞こえて知れると気が気ではなくなり、姉の家に預かってもらいたいと言い出しました。

3 新しい家

 そろそろ家の購入を考えていた時期だったので、ペットの飼えるマンションを探し出しました。2000年の頃はペット可が少なくて大変でした。なかなか見つからず、一軒家にするかと、スーパーの買い物帰りに、そのスーパーにテナントに入っていた不動産に何気なくついでに寄ったところ、まだ一軒も売ったことのない新入社員に、たった今入ったばかりの物件ですと紹介され、見に行ったところ、「ハナ」と同様に即決。その日の内に仮契約となりました。すこし予算オーバーでしたが、駅近の好物件でした。素晴らしい家を見つけるきっかけを作ってくれた「ハナ」に感謝です。引っ越しは2000年5月、駅に近いが住宅街なので思う存分散歩ができました。

4 日々の生活

 女の子でしたので、当然生理が始まりました。家でおむつ生活が数か月に一度の頻度であります。将来子犬を産ませるつもりもないし、子宮癌のリスクも低減するということで2001年6月に手術入院しました。それまで、一度も家以外泊まったこともなかったのですが、小さな傷が残っただけでけろっとして帰ってきました。
 よく車嫌いな子は、酔って大変と聞きますが、この子は車大好きで、出かけるとき持つキーの音で、置いていかれまいとささっと玄関に素早く出てきて、車のドアを開けるとその頃は4WDワンボックスで床も高かったのですが、飛び乗っていました。運転中は、妻の膝の上に乗り、身を乗り出してフロントウィンドーやサイドウィンドーから外を眺めていました。カーブに差し掛かるとうまく重心移動しているので慣れているなと感心しきりでした。目的地に着くと、車のなかに留守番の時もあるので、徐行してウィンカー出すと、その音に反応して留守番と思い「キュンキュン」と鳴きだしていました。
 葉山の海岸にもよく連れていきました。海水浴シーズンを終えた砂浜はとても静かで、「ハナ」が全力疾走する姿は精悍そのものでした。妻と離れてお互い呼びあうと、その間を行ったり来たりを全速で繰り返していました。一度など、止まれずに海岸に流れ込んでいる川に跳躍して落ちてしまったことがありました。たまたま干潮で、下の砂地が出ていてよかったですが、一瞬溺れるのではと焦りました。何せ水嫌いで、波打ち際にも近づかないし、川でも入ろうとしませんでしたので、一度も泳いだことがありません。
 釣りが趣味だったので、年に数度一緒に行っていました。車の中に泊まりもあります。日中は暑いので、スライドドアと窓は全開にして、日陰に車を停めていると、釣り人が通りかかって中を覗きこむと「ウー ワンワン」と歯を剥いて吠えるので、釣り仲間からは凶暴犬と言われていました。家の人には、従順でものすごく愛情深いのですが、初めての人、行動のゆったり人は不審者に思うのかよく吠えていました。でも一度も噛みついたことも噛みつこうとした素振りもありませんでした。
 やがて、「ハナ」と姉妹のように育った娘は、結婚してアメリカで暮らすようになりました。いつも気にかけているようなので、スカイプで姿を見せるようにすると「ハナ ハナ」と呼びかけます。娘の名前を呼んで「どこかな」というと、玄関を見て帰ってくるのかなという表情をします。
 先祖はドイツの寒い国のようですが、ハナは徹底して寒がりでした。ストーブの吹き出し口の前に寝そべってダメと言われたときは、下がるのですがまたすりすりとストーブの前に陣取っていました。床暖の上に毛布を掛けて寝そべってTVを見ていると、必ず股の間に「グリグリ」と潜ってきます。暫くすると「ハアハア」して出てきて水を飲んで、また潜ります。冬の間はずっとこのような調子でした。初夏でも日差しのあるところで日光浴が大好きでした。
 寝室は二階にあるので、「寝るよ」と言うと小さいころから階段をタッタッタと上って、「ピョン」とベッドに飛び乗って一緒に寝ていました。当然掛布団の中に「グリグリ」と鼻を使って潜りこんできます。年を取って、階段を登れなくなった一、二年前までこの調子でした。
 この子は、上げただけ全部食べるので、ちょっと量が多いとウエストのくびれがなくなって、獣医さんから太り気味ですよと注意されることが何度かありました。胃腸は丈夫で、嘔吐や下痢をしたことがないので、フードは日に二回をドライで一回分はスプーン一杯だけと徹底しました。晩年は唯一皮膚が弱く、ふけや脱毛しやすくなったので、皮膚によいフードをいろいろ試して、最後はアボガド入りが最適との結論に達しました。医療用シャンプーと妻がたくさん買ってきた洋服を季節を通して着せていたので、すっかり治っていきました。
 テーブルの上の食べ物は絶対食べようとしませんでした。ただよくこぼす人の下で待っていて、床に落ちたものは私の物よとばかりに食べていました。
 ミニチュアピンシャーは、歳を取るほど家族への愛情が深くなると言いますが、本当でした。家族以外の人には、なかなかなつきません。と言うよりずっと警戒したままです。家族は私が守るという感じです。家族には、同じDNAを感じるのか、暫く離れていても、すぐべったりです。いつもは立っている耳を後ろに倒してしっぽを振ってお帰りなさいと寄ってきます。こちらが無警戒でいるのに、椅子に座っていると当然膝に載せてくれると思い、ピョンと飛びついて、しがみついて登ってきます。立っていても1m以上飛びついてくるのでびっくりです。完全にこちらを信頼しているのでしょう。
 小さい時から甘えん坊で、腕の中や膝の上、お腹や足の間と常にどこかに触れている子でしたが、単身赴任先から帰ったとき、玄関から飛び出して、腰を落としてしっぽを振りすぎてちびっていた姿を今も思い出します。大好き大好き光線が出まくっていた子でした。

5 旅行の日々

 国内旅行には、必ずペットと泊まれるお宿にしていました。
 行った先、 岩手 山形 茨城 千葉 箱根 伊豆は数え知れず 御殿場 掛川 京都 金沢 飛騨高山、車酔いしたことがなく、ドライブ大好きなのでどこにでも連れて行けました。日本の北から南まで旅行した子はそんなにいないのではないかと思っています。旅行は同伴できる限り連れていきました。ペットホテルに預けたのは、海外旅行に行った時の2回だけです。それも、ゲージに入れるところではなく、オーナーさんが室内飼いで自由に寝させるところで、話ではオーナーさんの息子さんと一緒に寝ていたそうです。
 「ハナ」との旅行は心身ともにリラックスできて、幸せでした。泊まれるところはどうしても制約が出てしまいますが、多少不自由しても一緒でなければ旅行の意味がないと思っていました。ちょっと寒い時のオートキャンプも一つの寝袋に入ってつぶしてはいけないと気にしながらの楽しい思い出です。

6 病気になって

 このまま老衰になるのかなと思っていた2014年1月、14歳の誕生日を迎えた直後、突然やってきました。夕ご飯を食べるとき、足首がひっくり返っているのです。動物病院が閉まる直前でしたが、急いで診てもらいました。最初はヘルニアかと思っていましたが、血液検査とX線検査で、腎臓の数値悪く貧血、肺にも影があるとのことで、癌との診断でした。明日をも知れない命だったようですが、鉄剤とステロイド剤で、翌日にはびっくりするような回復を見せ、獣医さんからは、もう来れないと思っていたとまで言われました。そのような回復を見せてくれたので、病院に行く前にウンチだけは済ませておこうと思い、歩いてくれるものだから何度も何度も同じ道を往復させて出させようとむきになってしまい、妻がこれまでにないほど私に怒ってしまいました。病院から帰りぐったりして浅い息をしている「ハナ」になって、夫婦二人涙を流して謝りました。
 それからは、無理をさせず、約2週間の割で補液と薬を服用で病院通いが始まりました。もう高齢であるので、手術や抗癌治療はせず、対処療法だけを獣医さんと相談して決めました。飼い主さんの意向を尊重している病院だったので「ハナ」も最小限の苦しみだったと感謝しています。なんとなく余命が見えてきたので、これまで我慢させてきたグルメフードをトッピングして、2回だった食事を昼に大好きなパンを上げる3回にしました。もう二階には上がれないし、夜に水を飲みたがるので、妻がリビングに布団を敷き一緒に寝ていました。
 また、ステロイド剤の副作用で、すごく食欲が出るようで、朝は7時、昼は12時、夕方は6時と食事を決めていたので、体内時計がきちんとそれを知らせてくれるようで、30分前くらいから近くに来てじっと見つめて、細くなった声で「ワンワン」と言います。貧血はずっと続いていたようで、口の中が気持ち悪いのか、盛んに床をなめるので、家では「ベロベロ犬」と言われていました。食べると落ち着いて次の食事の時間まで、ぐっすり寝るので、最後まで全くボケはなくとてもお利口さんでした。
 ヘルニアのようでもあったようで、背中が丸まってきて、二つある色違いの家族のビーズクッションが大のお気に入りになりました。上るのも下りるのも大変なのですが、沈み込むので体が楽そうでいつもどちらかを取られていて、こちらがぐいぐいと体を入れて割り込むようでした。長い首を預けて半眼で寝ている姿が本当に可愛かった。

7 最後の日

 2014年7月、木曜日の朝に、ビーズクッションから床に嘔吐したあとがあり、水を飲んだあとの胃液状のものが混じっていました。その後のウンチは普通でした。夕飯は、全てレバーペーストにしてあげて、何とかゲージまで歩こうとしたが、途中でよろけてしまったので、からだを支えてあげて、全部食べさせました。夜になってからは、何度も苦しそうな鳴き声を朝方まで続けていましたが、翌朝7時くらいからは静かに寝ました。
 金曜日の朝食の、大好きなレバーペーストにサプリと鉄剤を混ぜてあげようとしましたが、前日の夕食らしきものを戻してしまい、何も食べることはできませんでした。小さなウンチをシートの上でしました。10時少し前に病院に行きましたが、施す術なく、食べられないかもしれないがと流動食をもらいました。帰ってから流動食を上げようとしましたが、二口ほどで飲み込む元気もなく、鳴き声も出さずぐったり寝ているだけになりました。夕食は食べられず水だけを飲んでいました。
 土曜日の朝、夜から妻が一緒に寝ていましたが、夜半にどたんと音がして目覚めると一生懸命犬用ベッドから出てトイレに行こうとしていたそうです。抱えてシートの上に行くと少し出して安心したようです。明け方には少し下痢が始まって、妻が台所に立っていると、何としたことか立つ体力はないはずなのに自力でシートの上に立って一生懸命「うーん」と踏ん張っていたそうです。きれい好きな子なので、最後まで迷惑をかけまいとしたようです。何滴か出ただけだったので、かわいそうでおむつをしてあげると、それが分かったのかそれからはおむつの中に安心して出していました。朝になってからベッドから出して、1時間ほど抱きかかえていたが、おむつのしっぽを通す穴からしっぽを伝わって下痢のウンチが出るので、おむつのしっぽの穴を塞いで取り替えてあげると、安心したようにクッションで寝ていました。突然呼吸が浅く荒くなって、じっと隣に座っていた妻を哀願するように見つめて、アイコンタクトが取れると安心したように「さようなら、ありがとう」とわずかに口を開いて、息を引き取りました。とても安らかな寝顔で天国に逝ったと実感できました。本当に本当に「ハナ」、ありがとう。
 
8 そして今

 まだ空虚感が大きくて、思い出しては涙がこぼれます。それでいいと思っています。すぐに立ち直る必要なんかないし、時間をかけてゆっくりやっていきます。いつか絶対会えると思っているし、残してくれた思い出を大切にしていきます。
 携帯の待ち受け、キーホルダー、車のステッカー、いろんなIDも全て「ハナ」です。今も、これからも、変える気は全くありません。
 これまでは、前に遅い車がいれば腹が立ったし、人ごみですれ違うとうるさいなと感じ、年寄りがもっさりしていれば早くと思ったりしていましたが、全て「ハナ」に諭されるなと思うようになり、自分自身を変えていかなくてはいけないと思っています。病気になってから、妻と些細なことで喧嘩になり、口も聞かないときに「ハナ」がどんなに寂しい思いだったかと思うと胸が苦しくなります。これからは「ハナ」が見ていると思い、長引かせないようにしなくては。
 無償の愛で、飼い主に偏見のないのは動物だけです。物欲、私欲を捨て去ることは難しいですが、少しでも「ハナ」に近づきたいと思います。「ハナ」はいろんな幸運を我が家に運んできてくれました、本当にありがとう、いつまでも愛しています。

画像:

◆獣医師広報板サポーター◆
獣医師広報板は多くのサポーターによって支えられています。
以下のバナーはサポーターの皆さんのもので、口数に応じてランダムに表示されています。

サポーター:新日本カレンダー株式会社ペピイ事業部様のリンクバナー

サポーター:ペットコミュニケーションズ株式会社様のリンクバナー

サポーター:ペット用品通販Gズ\ィエ.COM有のリンクグオー

あなたも獣医師広報板のサポーターになりませんか。
詳しくはサポーター募集をご覧ください。

◆獣医師広報板メニュー
獣医師広報板は、町の犬猫病院の獣医師(主宰者)が「獣医師に広報する」「獣医師が広報する」
ことを主たる目的として1997年に開設したウェブサイトです。(履歴)
サポーター広告主の方々から資金応援を受け(決算報告)、趣旨に賛同する人たちがボランティア
スタッフとなって運営に参加し(スタッフ名簿)、動物に関わる皆さんに利用され(ページビュー統計)
多くの人々に支えられています。

獣医師広報板へのリンクサポーター募集ボランティアスタッフ募集プライバシーポリシー

獣医師広報板の最新更新情報をTwitterでお知らせしております。

Copyright(C) 1997-2024 獣医師広報板(R) ALL Rights Reserved
許可なく転載を禁じます。
「獣医師広報板」は商標登録(4476083号)されています。