平成15年 9月20日 米寿を迎えました
母も80歳傘寿です
そして
二人は今年ダイヤモンド婚でした

優しくて仲良くて 最高の夫婦だと思っています
二人何時迄も仲良く元気でいてくださいね




大パパは大正4年9月20日兎年生です
ピーターラビットは父の昔からのお友達です(^_^)

大パパとは父の事です
「おじいちゃん」と呼ばれると 年をとってしまいそうだと言って
おおぱぱ
と呼ぶようにとの 強い希望がありました(^_^)


父は戦争で苦労しましたから 今は本当に幸せだと言っています
なぜなら 爆撃が無いからだと、、、
爆弾を落とされる目標となる場所に居て 最後まで守らねばならなくて
逃げる事が出来なかった
その恐怖が86才の今 幸せでいればいる程
よみがえって来るようです


父は書く事が好きなので 郷土研究やら 頼まれて執筆したりしていました
ある程度まとまってきた時に
数冊本を出しました
呑川物語は自費出版ですが
他の本は出版社が出しました
義兄が出版関係の仕事をしているので 本に出来たのは義兄のお蔭です(^_^)


 


一番最近出した本です
昔 まだまだ沖縄が外国だった時代
世界中を旅行した時の思い出が綴られています
父が戦争中仕事をしていた中島飛行機製作所の思い出です
出版社の希望で文庫本も出ました
郷土研究者と言われておりますが 
この本は家の前を走っている「呑川(のみがわ)」を書き綴ったものです



♪Giacomo Pucchiniの「ジャンニスキッキ 〜私の大好きなお父様」は♪COSMOS MIDI_Data Exhibition♪からお借りしました♪


 

父は平成18年3月15日 91歳で安らかに永眠致しました
最後まで在宅介護でのんびり暮らし
「幸せ 幸せ 今が一番幸せ」と言っておりました
父の介護 それは私にとって長く育ててくれた父への恩返しでした
何も出来なくても 父が最後まで死と言う恐怖を持つ事無く
幸せを感じて過ごしてくれたなら
それが一番嬉しい事です
母も最期の会話が
「春桜が咲いたら車椅子で見に行きましょうね」
と話しましたら 何時もの素晴らしい笑顔で「ウン」と言い
「そろそろ寝た方が良いですよ」 と話したら
「ウン」と笑顔で言って寝ました
そのまま全く苦しむ事無く永眠致しました
母は何時も最後の父の笑顔を思い出し そのまま寝たのだからきっとまだ寝ているのね
と言います

母がいなくては一日があけない父でした
入院していたら母とは会えないから寂しくてしょうがない父ですから
最期まで母と一緒に暮らせて良かったと思います
母の顔を見ると ニコッと微笑む父の笑顔は本当に嬉しそうで
どんな事があっても父と母を別ける事は出来ないと 頑張りました 
本当に仲が良い 信頼し合っていた素晴らしい夫婦です


父らしく 穏やかで 皆に心配をかけない最期でした
長い間 優しく育ててくれた事を 深く深く感謝しています


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