わずかな命でも生きていてくれるだけで 私は嬉しい
一緒に過ごせる時間があるだけで 私は嬉しい
その命が終る時は 突然かもしれない
別れの悲しみは永遠かもしれない
それでも 一緒にいてくれたその時があったという
それだけでも喜ばなければいけないのだろう
そして
一緒に暮らしてくれた事に
心から感謝している


ベルは生きる事だけでも一生懸命だった
何をするにも身体は辛かったと思う
でも
きっと楽しく暮らしてくれたと思う
食べたいものを出来るだけ食べて
鳩を追いかけ
花を食べ
寒地やラッキーをお兄さんと慕い
猫のポヨヨンを親と慕い
ケンスケ君を恋人と慕い
他の犬は皆苦手で
 
散歩もちょっとしか出来なかった
精々何百メートルが行動範囲だったけど
それでも記憶力はすごかったね
一度猫がいた所は何年経っても探したね

去年の暮頃から調子が悪くなってきたね
でも 散歩は出来なくなったけど
食べる事は必死だったね
最後迄食べる事は諦めなかったね
最後迄満腹でいられたね

何が悪いと言う事じゃないね
何所もかしこも悪かったのだからそれは仕方ないね
苦しくっても何時も苦しいから
それも耐えられたね
普段の生活自体がそうだったものね

でも
元気良くって明るい子だったね
私が泣くのを好きじゃなかったから
泣かないで頑張っているけど
時々こっそり涙が流れても
怒っちゃ嫌よ

 ベル 
私が行く迄 そこで待っていてね
皆と一緒に待っていてね




ベルは歩く事が精一杯で走れなかった
この子のようにきっと今ではお空を走り回っていると思う
身体が悪くなっていた事は判っていたけど
手術も出来ない事は判っていたけど
苦しい事は判っていたけど
ベルが望む生活を最後迄したと思っている
 
きっとベルは私を苦しめない為に
あっという間に行ってしまったのね
もう少し私が困っても良かったから
もう少し一緒にいて欲しかった

どの子もみんなそうだけど
私の心の中で永遠に生きてくれているね


ベルは平成15年 二月三日早朝に息を引取りました
二日から三日にかけての夜中は
御飯をゆっくり食べていたので
亡くなった時のベルのお腹は満腹でした
毎日食事前はぺっちゃんこのお腹だったから
最後の時はふっくらしていてよかった

去年の11〜12月にかけて
ベルは片方の手の付け根が急に腫れたので
散歩はやめました
腫れた直接の原因は判りませんが
徐々に吸収されてきて小さくなってきていました
それでももう散歩の出来る身体には戻れないとは思っていました
呼吸もおかしくなっていましたが
ベルにとっては何時もの事なので
普段の生活は送っていました
乳腺の分泌物も手術に耐えられないベルには対象療法のみでした
最後の日迄
ベル苦しいね 頑張ろうねと話していました
ベルはママどうしたの?大丈夫だよって
何時も元気をこちらにくれました

大好きな御飯は
何時もお茶漬け状態の流動食でしたが
この頃はもっと完全な流動状態でしか食べられませんでした
それでも何時間もかけて満腹になる迄食べました
この子の救いは食欲でした



今 ここに書いたのは
ベルの死亡を知らせる言葉ではなく
ベルが生きていた証を残す言葉です

ベルのように沢山病気を持って生まれても
最後迄生きる事を喜んできたベルの一生を残す為です
ベルの死を悲しまないで
ベルが生きてきたその事を誉めてあげて下さいね

皆様に沢山の愛を頂いた事を 心から感謝しています


♪ブルグミュラーJ.F.F.Burgmuller(1806-1874)「ブルグミュラー「25の練習曲」より「16ちょっとした悲しみ」は♪Toyoaki MIDI BOX !からお借りしました♪



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